マッ茶ンさん
第7回は、CCMCの前身であるS塾の頃からの長年お付き合いを頂いている“マッ茶ン”さんです。シャイな“マッ茶ン”さんは、本名を伏せてのご紹介です。京都ご出身の“マッ茶ン”さんは、年末の忘年会で年間無料パスを引き当てた強運の持ち主です。そんなラッキーマン“マッ茶ン”さんのプローフィールをご紹介します。
<<マッ茶ン>>
※ 写真にポインタを合わせて下さい。
名 前 : マッ茶ン
出身地 : 京都府
プロフィール
1. 幼少期~高校時代
HONDAスーパーカブ。私がスピードの出る乗り物に興味を持った原体験は、幼稚園の時に父が乗せてくれたそのバイクでした。当時の事ですから現在のような規制も無かったのでしょう。父を背に三角シートの前方に座り、ハンドルバーの内側に手を突いていました。そうすると私の両足はぶらぶらしていますから流れる路面を見ると空中を走っている様な感覚になり、全身に感じる風が爽快だった事を憶えています。
次がダイハツミゼットの3輪トラックでした。トラックといってもキャビン付きバイクみたいなもので大したスピードも出なかったのでしょうけど、幼心に車窓を流れる景色が大好きでした。そして小学校5年生位の時期に『サーキットの狼』の洗礼をもろに受け、中学生時代もコミック全巻を揃えて飽きずに読み返していました。高校生になってもバイクには全く興味が無く、当時の愛読書はCAR BOYでした。インターネットなんか無い時代ですから、大学生になったら柿本レーシングでスカイラインRSにL型3.1Lフルチューンエンジンを載せるとかの妄想にふけっていたものです。
2.大学生以降
大学に入学して最初のマイカーは当時の定番・AE86。ガソリン・タイヤ代を捻出する為に盛り場に見向きもせずタバコも吸わず、卒業が危ぶまれるほどにアルバイトに明け暮れ、夜な夜な近くのダム沿いのワインディングを走り回るという毎日でした。そんな単純な学生生活に転機が訪れます。
車好きなバイト先の店長(社長の息子さん)がアルファロメオ・1.8GTを所有していた25年程前のことです。ある日店長が「マッ茶ン、鈴鹿サーキット(西コース)を走ってみないか?」と誘ってくれました。聞けば店長の知り合いの世界的に有名なアルファコレクターが自身のコレクションを走らせるために、権威ある某C誌のK編集長(当時)との縁により個人で占有し、勿体無いからとアルファ仲間を誘われたのでした。今と違って当時の鈴鹿サーキットを一般人が走行するなどという事は想像も出来ないことでしたからビックリしましたが、二つ返事でついて行った事は言うまでもありません。
そのことが契機となり大学3年の時に不足分を親から借金までしてアルフェッタGTV6を購入し、たまに名阪スポーツランドや鈴鹿西コースを走ったりしていました。次いでランチア・デルタ HF インテグラーレ8V⇒マセラティ・カリフへ。でも手造りイタリア車でサーキットを走ることはサラリーマンの給料では少々辛くなりつつ、雲の上の存在である964RSに憧れていた1993年にPORSCHE・968CSが登場します。けれども発売前に完売で買えず、94年モデルを無理して買ったのがポルシェへの入口でした。
3.S塾
丁度その頃から鈴鹿の西コース走行会が徐々に増えだし、中でもLUCK主催の走行会には欠かさず参加していました。そこで出会ったのが、当時憧憬の的だった964RSなどをブイブイ言わせていた方々です。後にS塾の塾長となるSさん、RCヘリ界の世界的著名人のSさん、993GT2の前オーナーTさん達のグループです。968CSはとてもよく出来たスポーツカーでしたが、間近で見る964RSの魅力には到底叶わず夢の存在と思っていた98年冬、S塾長のご友人が他車へ乗り換えるために964RSを売りたいと言うお話がありました。それが私の現在の964RSです。結婚間近にもかかわらず結婚関連費用以外のありったけのお金をかき集めてスッカラカンになり、最初の自動車税を嫁さんに支払ってもらったことも今となっては良い想い出です。
4.ライトウェイさんとの出会い
その数年後インターネットが縁で知り合ったねずぴんさんとのご縁から、ライトウェイさんに出入りさせてもらうようになりました。皆さん周知の通りライトウェイ代表の水谷さんは優秀な整備技術で車輌を常に良い状態に保つだけでなく、元F3ドライバーのテクニックによりドライビング面でのサポートも的確です。それに加えてライトウェイさんを介したサーキット仲間をはじめCCMCのスタッフや走行会参加者の方々との交流のお陰で、永年にわたり楽しい(時には苦しい)サーキットライフを送ることが出来ています。中でも2008年鈴鹿3時間耐久RUSH祭り!で優勝できた事は一生の思い出となることでしょう。
私の運転技術では今後大幅なタイムアップは望めないとは思いますが、良き仲間やお知り合いがいらっしゃる限り、出来るだけサーキット通いを続けたいと思います。